● 沖縄の文化について
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● グスク
沖縄にはグスク(またはグシク)と呼ばれる建造物や遺構がたくさんあります。表記する場合には「城」という字をあてるのが一般的です。地理的には奄美諸島から先島(宮古・八重山地方)までの琉球列島全域に分布しており、その数は200から300と推定されています。ただし、奄美諸島や宮古諸島、八重山諸島ではもともとはスクと称されていました。グスクには座喜味(ざきみ)城跡、今帰仁(なきじん)城跡、中城(なかぐすく)城跡などの、大型のもの、具志川(ぐしかわ)城跡や南条市玉城(たまぐすく)のグスクロードに点在する比較的小規模なもの、また御嶽(ウタキ)のような森になっているものなど、さまざまな形態があります。
グスクは12世紀頃から造られはじめ、琉球列島各地の島や村で見ることができ、そのほとんどは山城となっています。グスクが多く築かれた時代、農村集落に按司(あじ)といわれる権力者があらわれ、互いに勢力を競い合うようになります。
その後、沖縄本島は三山(さんざん)(北山(ほくざん)、中山(ちゅうざん)、南山(なんざん))の勢力に次第に集約され、1429年に、尚巴志(しょう・はし)が、この三山を統一して第一尚氏王統を築きます。その第一尚氏王統の拠点は首里城(しゅりじょう)で、以後、第二尚氏王統も首里城を拠点とし、琉球王国の衰亡まで政治経済の中心となりました。
また、琉球の人々がグスクをつくった目的は、いわば権力をめぐる攻防のためばかりではなかったという説が研究者の間から提起され、グスク論争も盛んになりました。ひとつは、グスクには人々の信仰の柱になる拝所の役割があったという「聖域説」、また、原始社会から古代社会へ移行する時期の防御された集落である「防御集落説」、聖域を含んだ防御集落としての「高地性集落説」、支配者としてはまだ小さい地域豪族たちが、自己の家族を保護するものとしての「按司居館説」など、さまざまな考え方があらわれ、グスクの多様性を示してきました。
グスクの調査研究は地道につづいており、新事実の発見に結びつく成果は今後も期待されています。また、グスクの歴史的、考古学的な価値が認められ、復元事業も盛んです。2000年には、代表的ないくつかのグスクと、それに関連する遺跡が「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録されました。
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